万葉集より3つのキーワード「玉藻」「ミサゴ」「忘れ貝」と「玉」
海:「玉藻」→美しい(玉のような)ワカメ・天然のワカメ→玉のような赤ちゃん
山:「ミサゴ」古名(しなが鳥)→今まさにお母さんのお腹(羊水)から誕生した赤ちゃん
島:「忘れ貝」と「玉」→アサリ→自然環境(子どもがすくすく育つ)
鳴門町土佐泊浦で今年98歳になる元漁師のおじいちゃんのお話です。
・天然ワカメの収穫には2通りあって、
1つは男性が、小舟で沖に出て3メートル程の杉の木材にアンテナ状の鉄筋(道具をネギと発音)を取り付けて、海底からねじ切る方法と、
もう1つは女性が、鳴門海峡にある裸島と飛島で潮が干いた時に現れる島肌にはえるワカメを刈り取る方法(もちろんある程度の大きさにならない限り刈り取りません)です。
・鏡島では美味しいアサリが取れていました。岸の浜辺より沖(鏡島)のアサリは、清涼な水と豊富な餌のおかげで、殻が薄く身が大きいそうです。
さて世界最古の歌集である万葉集には、鳴門の渦潮を詠んだ歌があります。
第15巻 3638
これやこの 名に負う 鳴門(なると)のうず潮(しほ)に 玉藻(たまも)刈りとふ 海人娘子(あまをとめ)ども 田邊秋庭(奈良時代の遣新羅使)
この歌には注釈「大島の鳴門を過ぎて2泊を経て」が付いています。
阿波の鳴門ではなく山口県の大島の鳴門で詠まれたことになっています。
ここ鳴門に領地を治めていた清原元輔(きよはらのもとすけ)(清少納言の父)が、周防守に任せられたことが関係しているかもしれません。
上記の「玉藻」とは一般に「美しい藻」を示していますが、「藻」とはワカメなどの海藻とされています。そこで、万葉集の中で「玉藻」がどのような表現につかわれているか調べてみました。まず藻を詠んだ歌の中に玉藻は75%もあります。さらに、
0072: 玉藻刈る沖へは漕(こ)がじ敷栲(しきたえ)の枕のあたり忘れかねつも 藤原宇合
0250: 玉藻刈る敏馬(みるめ)を過ぎて夏草の野島が崎に船近づきぬ 柿本人麻呂
玉藻は刈って収穫しています。
飛鳥時代、日本全国でこのような情景が見られた地域は鳴門以外にあったでしょうか?
そこで次の歌
2278: 水底(みなそこ)に生(お)ふる玉藻の「生(お)ひも出でず」よしころのころはかくて通はむ
原文:水底尓 生玉藻之「生不出」縦比者 如是而将通
縦→よしこの、比→ころ、者→は
水底から生えているワカメはまだ十分に成長していない。その時がきたらまた訪れよう。「生まれているのに出てこない」とは、胎児のことと詠めませんか?そして、(よしこのころは)とは、まさに生まれてくる時ではないでしょうか?十分に成長したその時なんです。
阿波踊りの「よしこの」は、眉山麓の安産祈願で有名な天神社の湧き水の名前からお鯉さんが付けたそうです。1500年前の歌から引き継がれてきた思いとは、新しい命の誕生と明るい未来を願う気持ちなのです。
さて万葉集の「玉」は真珠と解釈されることが通説ですが、次の歌のように浜辺に落ちていて簡単に拾えるなら真珠ではないでしょう。むしろ2つの貝殻(夫婦)にその身(子供)が守られているアサリ(玉)と詠んでいるように思えます。ところが、万葉集では拾った玉は、同じ場所に戻されているのです。それはその場所で生きているアサリに価値(自然環境が整っている)があり、妻に見せてあげたいのだが方法がない(今は舟の上のため)とも詠めます。
3627: 手巻(たまき)の玉を 家(いえ)づとに 妹(いも)に遣(や)らむと 拾(ひり)ひ取り
袖には入れて帰し遣(や)る 使いなければ 持てれども 験(しるし)をなみと 置
きつるかも
3628: 玉の浦の沖つ白玉拾(ひり)へれどまたそ置きつる見る人をなみ
さらに万葉集の中には、アサリの片方の貝殻が「忘れ貝」として詠まれていますが、岸に流れ着いた片方の貝殻は、亡くした相手を忘れさせてくれると言われていますが、歌の中で決してそんな効果はないと断じています。
68: 大伴の三津の浜なる忘れ貝家なる妹(いも)を忘れて思へや
964: 我(わ)が背子(せこ)に恋ふれば苦し暇(いとま)あらば拾(ひり)ひて行かむ恋忘れ貝
3175: 若(わか)の浦に袖さへ濡れて忘れ貝拾(ひり)へど妹は忘らえなくに<或る本の歌の
末句に云く、忘れかねつも>
3629: 秋さらば我(あ)が船泊(は)てむ忘れ貝寄せて来て置けれ沖つ白波
ところで、ウチノ海のの北には、ミサゴ(しなが鳥)を見る山として著名な鳴門山があります。このミサゴなのですが万葉集に登場するだけでなく、日本書紀にも景行天皇がその姿(覚賀鳥)を見るために、アワ国の淡水門(アワノミナト)に出かけています。
万葉集には、
0362: みさご居る磯廻に生ふるなのりその名は告(の)らしてよ親は知るとも
1189: 大(おお)き海にあらしな吹きそ しなが鳥 猪名(いな)の湊(みなと)に舟泊(は)つるまで
3077: みさご居る荒磯(ありそ)に生ふるなのりそのよし名は告(の)らじ親は知るとも
ミサゴは魚や貝を取るのが得意な猛禽類で、魚鷹と呼ばれています。さてミサゴの古名は「しなが鳥」ですが、鳴門市撫養川でよく見るカイツブリ(にほ鳥)の古名でもあります。おそらく、ミサゴもにほ鳥も、その習性からカイツブリ(貝潰す鳥)と呼ばれていたのでしょう。鏡島でとれるアサリは、岸の浜辺で取れたアサリと比べて、清涼な水と豊富な餌のおかげで殻が薄く身が大きいそうです。つまり頭のいいミサゴは、そのアサリを狙っていたのでしょう。空中を優雅に飛び回るミサゴの古名(覚賀鳥)は、目覚め(覚)を祝う(賀)鳥になり、さらにミサゴのミサは古語に「ミサミサ」→(ずぶぬれ)という意味があります。「ずぶぬれのこ」とは、今まさにお母さんのお腹(羊水)から誕生した赤ちゃんの象徴と詠めます。つまり、鏡島はその環境清浄化能力に優れたアサリを数千年にわたり守り続け、次の世代が誕生するとその喜びを祝い、感謝の意を込めてその成長を願い、豊かで平和な未来が続くように祈っていた島ではないでしょうか。阿波弁で「かがま」とは膝小僧のことです。膝小僧を地につけ感謝や平和を祈り、この自然環境を守っていく誓いを立てていたのかもしれません。今もなお鏡島では、毎年初の子の頃、堂浦漁協関係者様らが「竜宮祭」神事を執り行っています。上陸禁止の神聖な島には、人型の石像が3つ祀られてるそうです。先人たちの想いが、ハートのシンボルとなってるのかもしれません。
万葉集に展開されている光景は、アサリの島の上空を勇壮に飛ぶミサゴとミネラルが豊富なワカメを収穫する人々を詠んでいます。海(玉藻)、山(ミサゴ)、島(アサリ)、こんな情景が浮かんでくる場所は、この自然豊かな「鳴門」の他にはないと思いませんか。
播磨 芳宣(よしのぶ)
郡 雅子